社会人って枠組み


一般的に二人以上いる世界のことを社会と定義し、
友人はそれはすなわち思いやり、自分勝手しない、空気を読むと挙げた。
正味まあコレに関してはどうでもよいのだけども。


それに関連して。
俺はこの一年、ある障害者施設に関わってきた。
中でもオモシロいというか、なるほどなと思った行動がある。


彼らの一人は頻繁に僕たちの腕を取って腕時計を見て時間を確認する。
また、彼はストレスを感じたとき、僕たちの手を自分のお腹に持ってきてさすらせたりすることで安心感を得る。


コレは多分、彼は自分と他者の間に壁を持っておらず、共同体として自分や僕たちを見ているという意味ではないかと察する。
普通、僕たちは教育を受けたり様々な人と生活をしていく上で社会的な常識やマナー、心遣い等を学んでいく。
それは自己と他者というのを認識することをした上で成り立つことであり、いわゆる壁を作ってしまうことでもある。
しかし、障害者にはそういう感覚がない。(のではないか?)
それにより彼らは、僕たちが元々持っていたはずの感覚(=自己と他者を認識し、思いやり・空気を読む等の力をつけていく内に失っていった)を常に持つことを可能にし)、その行動や芸術作品等で多くの人の心を動かしている。
その代償に、彼らは社会に順応できない。


大体、自分を省みても、幼稚園・小学生時代はあんなに楽しかった創作活動がだんだんとパワーのいるものになっている。
たぶんその一つの理由には、周りの目とかもあるでしょう。まあそれはおいといて。



ということなので、僕たちは彼らから学べることがたくさんあるはずだ。
そのかわり、社会生活なんて僕たちが代わりにやってしまえばいい。
win-winってやつだ。
ガンバロウゼ。



(もちろん障害者の程度にもよるので、あまり大きい声では言えないのだが・・・。)